今般、5月20日に遷化した高徳寺二十八世泰雄大和尚密葬儀には何かとご多用の中、ご会葬頂きましたことに厚く御礼申し上げます。生前のご厚誼、また住職としてこれまで支えて頂きましたこと誠に有難く心より感謝申し上げます。突然の訃報に驚かれた方も多い事と存じますが、今年初めより脳内疾患の症状が重くなり専門的な治療のため転院し、加療を継続して参りましたが5月初旬より衰弱が進み食事が出来なくなりました。コロナ禍で面会が制限されたものの、主治医に強くお願いし何とか支えてきましたが最後は家族に見守られ、まるで静かに眠るように永眠いたしました。とても穏やかで安らかな最期でありました。臨終間際に口元が動き言葉を発しました。感謝とこれからの高徳寺を託す言葉だと感じました。今後も高徳寺を支えて頂きますよう宜しくお願い申し上げます。
さて、上に記した言葉は遺偈(ゆいげ)と申しまして生前に和尚としての生涯を振り返り漢詩にしたため遺していた言葉であります。「月に釣り、雲を耕す八十八年。未だ生死を覚らず、迷いながら黄泉に赴く」平たく申せば、88年の生涯を掛けて仏道修行に精進して来たものの未だに覚りには到達叶わず、迷いながら黄泉の旅路につく思いだ。と読めます。しかし、その先にも修行の決意を感じさせる言葉であります。つまりは人間迷いもありさまざま思いもあるがその時々の境遇を受け入れながら修行に精進していくことが肝要である。というメッセージだと感じます。皆さんも何卒ご一考あれ。
高徳寺二十八世泰雄大和尚遷化
続きは高徳寺だより特集号にてご覧下さい。先代住職のことば
寺報「高徳寺だより」に掲載した先代住職のことばをご紹介します。平成30年9月
平成30年5月
平成29年11月
平成29年9月
平成30年9月
花の晨(あした)に片頬(かたほ)笑み…宇宙の生命を生きる
このフレーズをご存じでしょうか。学校に校歌があるように宗教団体にも宗歌というものがあります。わが曹洞宗の宗歌のうたいだしがこの文句です。仏教は言うまでもなくお釈迦さま(教祖)の45年にわたるご説法を今に伝えるものですが、その中にはいろいろなエピソードが入っていて、中でもお釈迦様の直弟子(じきでし)の一人であった摩訶迦葉(まかかしょう)尊者(2代様)というお坊さんへ、教えが伝えられていく様子を描いた故事が有名です。
ある朝、お釈迦様のご説法が始まりました。お釈迦様は何を思ったか、白蓮華一輪を持って高座にのぼられ、ニコッとほほえまれただけで何も言われない。みんな不思議そうな顔をしている中で、摩訶迦葉尊者だけがニコニコほほえみながら大きくうなずかれたというのです。お釈迦様は黙ったまま高座を降りられました。いったい摩訶迦葉尊者は何がわかったというのでしょうか。
地球の歴史は46億年、人類の歴史は45万年といわれますが、天地創造のいきさつについてはだれもわからない。先人たちは「天地悠久のエネルギー」とか「人知を超えた神の摂理」とか「ほとけさまのはからい」とか、いろいろなとらえかたをしてきました。どれも正しいと思います。ただひとついえることは、蓮華の花も人間も山河大地もみな大宇宙の生命の創造であったということ、つまり仏教でいえばほちけさまからの大切なおくりものであったということ。万物同根(ばんぶつどうこん)、みな「仏の子」であるということです。
何であれ、せっかくいただいたいのちです。花は花のように、人間は人間のように天地の理法(りほう)やほとけさまの恵みからはずれないように目一杯生きていくのが大事だといえましょう。
平成30年5月
別れる・送る――ほとけさまのさとりの世界へ
時代がちがうとか価値観がちがうとかよく聞くことばですが、ものごとを伝えていく立場にある人が、引っ込み思案になってしまい、特に葬儀・法事やお祭りなどの伝統行事に携わる人たちが、その行事の意味合いを積極的に伝えようとしていません。残念なことです。 いろいろな意味で今、問題になっているのがお葬式です。いったいお葬式にはどんな意味があったでしょうか。ここでは「送別」という言葉を借りて考えてみましょう。 まず「別れ」です。仏教でいう四苦八苦の中の「愛別離苦(あいべつりく)」、別れの悲しみや苦しさです。よく葬式を人生の卒業式などとたとえる人が居ますが、卒業式には未来があるが、死別には「また」も「ふたたび」もありません。この永遠の別れにあたって、少しでも拘わりのあった人なら黙ってすむはずがないでしょう。感謝や思いで、憎い人だったら反省や和解の言葉のひとつやふたつ、たとえ遺影に対してであっても吐露したい気持ちになる。それは生者も死者も同じことだと思います。 さらに大事なこと、それは「送る」ということです。 昔から遺骸(いがい)を埋葬することを「野辺おくり」と言いましたが、この「送る」にはもっと重い意味がかかっているのです。ただの「さよなら」だけでなく、故人を「この世(人間界)」から「仏界(あの世)」への旅立ちを見届けるという思い宗教的な場面に立ち会うということです。曹洞宗の場合、葬儀の中に「授戒(じゅかい)」という儀礼が入りますが、これは仏様の身内として認めていただく認証式であり、その証明書として「血脈(けちみゃく)」というものが手渡されます。この世でのわずらい悩みから解放され、ほとけ様の大安楽(だいあんらく)の世界に落ち着くことを「成仏」といいまうが、この一大事の場面に「送り人」として連なることはただの因縁ではないはずです。 残された遺族は亡き人の成仏を願いつつ、お寺さんにお布施をあげ、会葬者や縁者に対して遺志(ゆいし)をおくり、以後「中陰」という供養を行じていくことになるのです。平成29年11月
ご開山さま・ご先祖さまありがとう
どこの家にも、その家の初代となるご先祖様がおられますが、お寺にも、そのお寺を開かれたご開山様という和尚様がおられます。その開山様のご命日を開山忌といい、お寺では大切な行事のてぃとつとしてこの日に法要やいろいろな行事が行われています。ところが、その開山さまには2通りの意味があることを知っておいていただきたいのです。一つは「創建開山」と呼ばれ、実際にそのお寺の創建に関わった和尚さまと、もう一方、創建に直接関係はないがいろいろな事情から後世になって開山さまとして迎えられた和尚さまがある。これを「勘請(かんじょう)開山」とお呼びする、この2つです。高徳寺の開山さまは、勘情開山のほうで曇英慧応(どんえいえおう)大和尚とお呼びする全示唆まで、本寺林泉寺の初代のご住職様であります。曹洞宗の歴史の中でも有名な和尚様です。この禅師さまのご命日は永生元年(1504年)10月14日とあり、高徳寺では昔から11月14日を開山忌とさだめて、供養を続けてきました。古文書の伝えるところによると、現在地に高徳寺が建立されたのは寛元4年(1620年)とありますからずいぶん年代にずれがあります。その理由は先の説明でわかっていただけると思います。ともあれ、創建以来27代にわたる代々の住職様や開基さま(※)をはじめ檀信徒の皆さんに守られ、今も立派に存続しえてることを感謝しなければなりません。本当にありがとうございます。 合掌・礼拝
※開基さま お寺を実際に建立した檀家の信者さん。高徳寺の場合は牛谷家のこと。
平成29年9月